# 履歴
# 学生時代まで
# 幼少時代
いつのまにか怪我をしていたり、ガラスにつっこんだり、車が数センチ手前で止まったりするようなヒヤヒヤする幼少時代。
それでも命に関わることもなく、今に至る。。。何かに守られていたのではなかろうか。
# 義務教育時代
小学生の頃は、なんだかいろんなものをやりたがってしまった。
その結果、なんだか忙しい小学生に。。。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
そろばん | 塾 | そろばん | そろばん・ピアノ・水泳 | 塾 |
体操教室なんかも通ってたな。サッカーはすぐにやめた。
いろいろやっていたのに、中学受験は失敗。まわりの人達と同じ地元の中学へ。
あ、クラブ活動の一輪車は楽しかった。
中学生の頃は、とにかくバドミントン部で汗をかいていた。
それ以外これといったことをしていない・・・
# 高専時代
ギリギリの成績で茨城高専へ入学。
ここでの生活が、今の自分の「アイドルDD」の前兆だったんじゃないかと思えてきた。
文武両道の気持ちがあったわけではないが、 運動部のバドミントン部、文化部(というか同好会)の電子計算機同好会・シミュレーションゲーム同好会に入る。
- いろんな合宿で遊べて楽しかった。
- バドミントン部では、高校の大会も高専の大会もあまりいい成績はとれず。
でも近くの勝田高校のメンバーと仲良くなれたのはよかったな。 - 同好会はゲームやアニメの情報がたくさん入ってきた。
この頃のメンバーのような空気をかもしだしている人たちがいくつかのアイドル現場にいると懐かしく思えてくる。
秋葉原電気街が電気街だった頃~メイドが始まる頃ぐらいまでの時代かな。
高専の電子情報工学科に入って電子計算機同好会にいたにも関わらず、プログラミングなんてほっとんど習得せずに中退の道へ進む。
# 職歴
# 1999年~2004年(茨城A社時代)
ほとんどプログラミングをまともにやっていなかったにもかかわらず、VBをメインにいろんなプログラムを書かせてもらう。
このころの経験のおかげで、今のプログラマーの僕がいるようなもん。
VB、VBA、VC、Java、Ruby、C#・・・などなど、イロイロ経験できた。
車がないと不便だということにようやく気づき、免許合宿のために休ませてもらうなど、かなり融通の効く会社に最初に出会えたのはラッキーだった。
しかし、精神的にしんどくなってしまい、辞める決意をした。
# 茨城A社時代の経験
- Visual Basicは、その会社では1, 2を争うぐらいの実力者になった
- .NETにも早いうちに対応させてもらった
- JavaをIDEなしで開発していた時代だった
- メーラーがおかしくなり、telnetでメールを見ていた時期が数日間あった
# フリーランター
A社を辞めてから少しして、服屋でバイトを始める。
当初、フリーランスで働こうかなあ・・・と思っていたこともあり、 SNS仲間からフリーターとフリーランサーの間ということで「フリーランター」と呼ばれていた。
# フリーランター時代の経験
- お客さんへの接し方や接していないときにどう動くかを学べた
- 頼られることの喜びはここでの経験がいちばんよかったかもしれない
- 人の思い出に爪痕を残してやりたいぐらい何かおもしろいことをするようになったきっかけかもしれない
- 毎日の結果に一喜一憂するということは意外と大事
# 2005年~2006年(茨城AOI社 水戸勤務時代)
「そろそろ働こう!」と思い、
フリーランター時代にSNS経由で知り合ったAOI社の社長のところへ転がり込む。
「フリーになることを考えているのなら、最初は正社員ではなくしばらく働いてから正社員になるかどうするか決めなよ」
と言われてから3ヶ月後
「どうする?」
「寂しいので、正社員でお願いします。」
と、無事正社員になった。
水戸勤務時代は社内開発者が僕だけだったので、あまり大きな仕事はできなかった。
しかし、ここでまた転機が訪れる・・・
# AOI社 水戸時代の経験
- 高速バスという移動手段の安さ
- 数万円規模の仕事での打ち合わせのコスト
- チームが無いというのは寂しい
- 古いビルでの地震の怖さ
# 2006年~2010年(都内R社常駐 Team S時代)
社長から面白い現場を紹介される。
「都内勤務だけど、こんな仕事があるよ。どうする?」
「え?これって、あのR社ですか?行きます。」
当初2週間の猫の手予定だったが、1日目の働きぶりで長期延長を申し出された。 そこからいろんなProjectのメンバーとして、リーダーとしていろいろ体験する。
# R社 Team S時代の経験
- テスト投稿するのがめんどくさかったので、IEをプログラムで動かして自動投稿しまくるツールをこっそりつくる
- 単体テストを手でやるのがめんどくさかったので、Excelにデータを入れて自動で流すようにする
- Webアプリのセキュリティ担当になったが、テスト段階まで来てから指摘するのがバカバカしくなって最初から関わらせてもらうようフローを変えてもらう
- 大きい会社が必ずしもめっちゃできる人ばかりではないということがわかった
- すれ違うたびに違うポジションに駆け上がれる化物みたいな存在って本当にいる
# 2010年~2014年(都内R社常駐 HP時代)
Team Sでの開発は小規模サイトだったが、なりゆきでR社の代表的なサイトの1つの保守・新機能の開発などに関わることになる。 最初はメンバーでの参加だったが、少ししてから当時のサブリーダーが辞めることになり引き継ぐ。
# R社 HP時代の経験
- メンバー時代は主に忍者
- WebアプリはJava、ひたすらJava
- サブリーダーになってからも面白そうな機能は自分で実装していた。その流れでなぜか別アプリの開発も担当することになったりしていた
- サブリーダー時代終盤は人が多いのでチームを3つに割って、それぞれにリーダーを割り当てて任せるようにした
# 2014年~2018年 (都内R社常駐 LEAN時代)
S時代にお世話になった方が新しい開発チームを各部署に立ち上げたいという話を持ってきたので、
「今のところでは僕しかできないな。もう一人適性がありそうな人を連れてそっちにいこう。」
と、LEANに移籍する。
「ユーザーが使いやすい機能・UIを速く短いスパンで開発していく」 という当たり前のことをやってのけるために、いろいろすっ飛ばしていいとのことだったので、とにかく自由奔放さをより一層出してチームに貢献している。
# R社 LEAN時代の経験
- 開発はserver sideはJava、front endはJavaScript(途中からES2015)、css(途中からsass)
- A/B testをどうすれば早くまわせるかだけを考える時期があった
- jQueryに飽きてきたのでriotで作り始めた
- 作る(企画から開発、テスト、リリース、分析して再企画)ことにとにかく多くを費やすことにした
- 無駄なことをしていたら斬るのが当たり前になった
- botはhubotが作りづらくなりlitaにした
- 雑談が盛り上がるチームの生産性が高いというのは自然なんだと思えた
- 季節にどんなお客さんが自サイトに来るのか等、開発以外のことを考えることが多くなった
# 2019年~ (都内R社常駐 DEG時代)
2018年末、LEAN解散に伴い異動。
LEAN時代に培ったフロントエンドの知識とデータ分析への好奇心を武器に様々な案件に関わる。
収集されたデータを分析して次に活かす人材が多い中、2020年は主にサイトからデータを収集する側の仕事を行う。
# R社 DEG時代の経験
- 基本的にはJavaScriptを頑張るマン
- クラウド(主にGCP。AWSも少し使っている)を活用した開発を体験
- データサイエンティストの多いチームのためスキルセットの違う人たちと刺激を受けあう
- 自分の武器を再認識できる現場となる
- ABテストの基盤実装チームで振り分けサーバー(Go)やフロントエンドの実装(vue + typescript)を行う
- サイトのブラウザ側で取得するログの実装を行い、リアルタイムで変化させる案件への貢献を行う